みずほ銀行オンライン・システム障害について 〜 注49

公開: 2021年12月15日

更新: 2021年12月15日

注49. 米国社会の知識集約化

米国社会は、1980年代に入って、経済が停滞し始めていた。特に、相対的に質が高く、低い人件費を武器に対米輸出を拡大し続けていた日本経済の追い上げに直面し、対日貿易赤字に悩まされていた米国経済は、少しずつ景気後退局面に入りつつあった。

それを契機に、米国の政治家や、経済学者・経営学者達は、日本経済の強みと弱みの研究を開始し、米国経済の再生戦略を議論し始めていた。この研究の入り口となったのが、当時の日本製品の品質の高さであった。日本企業は、米国社会では不可能な品質向上運動を絶え間なく続け、米国企業が追随できないほどの製品品質を実現していた。その高品質化を押し進めていたのが、「日本的品質管理」の思想であった。

日本社会における「品質向上」の動きは、第2次世界大戦後に、占領軍司令部が、日本経済の復興のために導入した「統計的品質管理法」によって始まった。日本の社会では、それまでの日本にはなかった「品質」の概念を学び、それが日本製製品の国際競争力を高める原動力になることを学び、どの企業でも、全社的な取り組みとして導入した。当時の日本社会では、人件費が低く、品質向上の活動に労力を投入しても、輸出時の製品価格を高くする悪影響は、生じなかった。

日本企業は、市場である米国社会における製品品質に対する評価を詳しく分析し、製品の品質向上につなげて行ったのである。この経営努力によって、日本製品は、「価格は安いが、質は悪い」と言う評価から、「価格は安く、質は高い」と言う評価に変わった。と同時に、経済学者や経営学者、社会学者は、「なぜそのような高品質な製品を日本は生産できるのか」と言う疑問が浮かび上がり、多くの研究者がその解明に努力した。さらに、米国の経済学者は、資本主義社会が、産業化社会から、新しい社会に移りつつあることに気付いた。

ドラッカーは、その新しい社会を「ポスト資本主義社会」と呼び、経済が知識集約化しつつあることを指摘した。また、2000年代に入ると、フロリダは、そのような経済の知識化を担っている人材を、「クリエイティブ階層」と呼び、米国社会では、その階層に属する人々が、急速に増加していると指摘した。さらに、その階層の人々のライフスタイルや、育成の問題、人材の流動化について述べた。

参考になる読み物

フロリダ, R.、「クリエイティブ資本論」、ダイヤモンド社(2008)